「六本木クロッシング2016」展
Mandala Design sachiです。
六本木クロッシング2016展:僕の身体(からだ)、あなたの声
に行きました。
気になった作品を写真とともにポストします(写真撮影OK)。
森美術館サイトより転載
ー 「六本木クロッシング」は、森美術館が3年に一度、日本のアートシーンを総覧する定点観測的な展覧会として2004年から開催してきたシリーズ展です。5回目となる本展では、日本、韓国、台湾の4人のキュレーターによって選ばれた、20組のアーティストのバラエティーに富んだ表現を通して、日本の現代アートを幅広い視野から検証し、今日の社会とアートについて考察します。 ー
3年に一度開催される、日本のアートシーンを見渡す美術展。
この国で自分と同時代を生きる表現者たちが、いまどのようなことに注目しているのか、さらにはそれをどのような作品にするのか。
それがわかるので、いつも観るのが楽しみ。
今回は戦争を意識している作品が際立っていたと思う。
前回(2013)は震災や原発テーマが圧倒的に多かった。
以下アーティスト情報は森美術館サイト 出展アーティストより転載
片山真理
(1987年群馬生まれ、群馬・東京在住)
義足の自身を臆することなく被写体にする片山真理氏。
世界と繋がるには身体や感覚はオープンであるべき。そんな事を感じた。
彼女の作品を見ると、真の表現のためには中途半端な自意識など必要ない、という当たり前のことに気づかされる。
作品そのものはきれいでキッチュで儚いが、芸術的か?と言われたらわからない。
鑑賞者が作品を観た時に抱く感情(戸惑いや恍惚や、はたまた倒錯的な思い)もセットにして初めて、片山作品は深い芸術的価値を持つのだろうと思った。
石川竜一
(1984年沖縄生まれ、沖縄在住)
何のために記録するのか?
自分が見てきたものを消化するため(石川竜一氏)
被写体である「人の顔」が持つ情報量の多さにあらためて驚く。
カメラをまっすぐに見すえる彼らの目。眉。口もと。それらの変化のバリエーション。その組み合わせは無限にある。
《OP.001208 2011 Ginowan》(「okinawan portraits 2010-2012」シリーズより)
2016年
森美術館サイトより転載
作品鑑賞後の不思議な感覚。
被写体である彼らの魂とわたしは確かに出会ったような気がしたのだ。
写真の中の彼らと束の間でも見つめ合ったと感じた。
今後もおそらく会うことはない彼らのいのちがこちらにはっきりと伝わった。
後藤靖香
(1982年広島生まれ、広島在住)
<芋洗>
まず第一に、作品の大きさに目を奪われた。
いつも思うことだが、実際の絵の前に立つということは、手元の画集やPCのディスプレイでそれを見ることとはまったく違う。
本物と空間を共有し、立体的なその作品を自分の網膜に映さないと、決して受け取れないものがある。それを得たくて自分は美術館に足を運ぶのだと思う。
大きさというのもそのひとつ。それだけで充分にこちらを圧倒する。描いた人間のたしかな熱が伝わってくる。
それが小ささであっても、そう。「なにこれちっちゃ!」と感じ、覗き込んだとき、はじめて作り手の意図や目論見が伝わって来る。
ほかには油彩ならその絵の具の盛り方とか。その線の勢いや迷いや強弱だとか。あるいは、抽象的な言い方だけど、その作品から立ち上る気配のようなものだとか。作り手がある一定の期間、彼のエネルギー(=いのち)をかけてその作品に向かい合った、という証しみたいなものか。
そういった画集やデジタル情報では体感できないものを観たくて、わたしたちは美術展に向かうのだと思う。
後藤靖香氏の絵画は、くっきりとした強いラインで少し漫画テイスト。テーマは戦争体験であるが、諧謔味も感じられ、見ていて楽しめた。
作家の中で祖父の従軍体験談がきちんと消化されていることがよくわかる。そして、それらを世に伝えるのだという強い意志が伝わってくる作品群だった。
<あいおいばし>
<寄書>
松川朋菜
(1987年愛知生まれ、千葉在住)
油彩だが、絵画とは思えないほどのリアルさだった。
モチーフは生活に密着した身近なものや女性の表情・身体などで、どれにも心のなかのつぶやきのような作品タイトルがついている。
例えば、しょうゆを少し入れた花柄のチープなお皿の絵。写真で言ったら接写に近い描写。部屋の窓が皿に映りこんでいるのが見える。コンビニかなんかで買ってきたパック入りの寿司を食べるところかな、という感じ。
<そこの階段を上がると、ああ私は独りなんだなって思う>
というタイトルが添えられている。
<そこの階段を上がると、ああ私は独りなんだなって思う>
床に無造作に脱ぎ捨てられた衣服やヒール、アクセサリー。よく見ると脱ぐ時にからみつき、抜けたと思われる髪の毛も幾筋か描かれている。
タイトルは
<でもこれでようやく、私らしくいられるのかなって思ったりもする>
<でもこれでようやく、私らしくいられるのかなって思ったりもする>
イマジネーションを強く刺激される。
同時代を生きる女性のリアルな物語が伝わってくる。
<理由なんて特にないの>
どの作品にも感じられたのは、息苦しさのようなもの。
それはわたしたちの生きる「この国のいま」の閉塞感なのかもしれない。
ナイル・ケティング
(1989年神奈川生まれ、ベルリン在住)
ベルリンを拠点に活動する彼は、ビデオ・サウンド・パフォーマンス・化学物質といった要素を用いて作品制作を行っているのだそう。
彼の作品は、個人的に好きなアイテムにあふれていて心底ぞくぞくした。アクリル・透明・光・波長・プラズマ・オーロラ・理化学製品!
作品にかぶりつくようにしつこくシャッターを切る自分。軽く引きつつも警戒を怠らない様子の学芸員嬢。大丈夫ですよ。お手はふれておりませんので!
こんなファンタスティックな装置みたいな作品、作ってみたい!
7月10日まで。
各アーティストの紹介映像は以下のページです。
ttp://www.mori.art.museum/contents/roppongix2016/artists_works/index.html
六本木クロッシング2016展:僕の身体(からだ)、あなたの声
会 期: 2016年3月26日(土)-7月10日(日)
会 場: 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
企 画: 荒木夏実(森美術館キュレーター)
キム・ソンジョン(アートソンジェセンターディレクター、Samusoディレクター)
小澤慶介(キュレーター/特定非営利活動法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト])
ウー・ダークン(台北国際芸術村ディレクター)
主 催: 森美術館
後 援: オーストリア大使館
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